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最近は、プロレスで使われることはなくなった。
私が最後に見たW★INGの興業。マスカラス&カネックを招聘したにも拘らず、ご覧の入りだった。
(92年8月20日)
↑館長、遂にweb上に正体を現す…(笑)
これが1970年の万博開催当時。
私達が立っている場所は、現在後ろの階段もなくなり、立ち入り禁止の芝生になっている。(因みに私は右端)
このコーナーは、プロレスに馴染みのある(あった)、大阪のプロレス会場を紹介していこうという在り来たりのコーナーである(笑)
さて、このコーナーの第1回目は、1970年に半年で延べ6422万人も集めたと言う、あの世界万国博覧会の跡地である。
当時、私もこの万博が大好きで、1日中、各パビリオンの絵を書いていたものだ。今でも、ソ連館なら5秒、太陽の塔は10秒で書ける(^-^)
だから、その当時からも含め、大変思い出の深い場所である。
私の記憶が確かならば、初めてプロレス会場に使われたのは、昭和50年の全日だったと思う。
当時は、まだ太陽の塔を取り囲むように大屋根が残っていた頃だ。
そして、翌年の51年10月10日にも再びファン感謝デーとして、同じカードのデストロイヤーvsブッチャーがメインとして行われた。

また、私の生観戦デビューがこの会場だったので、プロレス会場では一番歴史のある府立体育会館より先にこちらを第1回とした。
興業としては、それほど行われていないと思う。私個人はその後、UWF、FMW、W★INGの計4回の観戦する。(厳密に言うとUWFはお祭り広場跡から少し離れた場所だった)
今でも、公園内のあちこちには、○○館跡としてプレートが埋めてある。
その中で、ネッシーのようなユニークな形をしていたオーストラリア館が、閉会後、三重県四日市市に移設され、今プロレス会場として使われているのもおかしな感じだ。私も最近、それを知ったのだが。
今は大屋根も取り除かれ、老朽化した太陽の塔は、94年には修復工事を行っている。
そして、週末にはフリーマーケットなどのイベントが行われ家族連れなどで賑わっている。
場所そのものは残っているのだが、やはり全日を観た時のイメージはもう残されていない。
今、大屋根は一部だけが記念に残されてある。
この大屋根は、丹下健三を中心とする、建築家が設計した壮大な屋根だった。
しかし、イメージが出来た後に、突如そのど真ん中に太陽の塔を建てる話が急遽決まり、ひと悶着あったという裏話がある。なんとも岡本太郎らしい発想だ。
2004.11.6撮影
大興奮のブッチャーvsデストロイヤーのUS戦。
すべてはここから始まった!!
写真は、イマイチだが大屋根が写っているのがお分かり頂けると思う。因みに、手前の足は、確かW・V・エリックの筈(^^;)

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